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                         2010.06.07〜2010.06.19

二十歳(ハタチ)前盲腸炎で入院して以来半世紀ぶりの入院生活 思い出すままに綴ってみました。


結果 2010.06.07 長い間 我慢をしてきた腰痛治療をするため三島社会保険病院に入院 6/11に脊柱の2ヶ所を削って神経の通り道を広げて貰った。お蔭様で術後3日目には腰から下の痛みや痺れが霧消しているのが判り手術の成功を肌身で感ずる事が出来た、感謝感激・・・

発見 2006,7年頃 何かの事でヨット仲間のMochida先生(当時三島社保病院の外科部長)にMRI診察をして戴いた時、脊椎間狭窄の疑いがあると言われていた。まだ痛みの発症はなくそのまま放置

発症 2008年2月 遊びに忙しい毎日を過ごし、10日間位の間にゴルフやボウリング、畑仕事や沼津アルプスへの山登りと激しく動き回った、オーバーワークからか腰が異常に痛い。Mochida先生に診察をお願いして再度MRIで精密検査して貰った。背骨の第4,5の脊髄を通る神経束が脊柱の狭窄によって圧迫されているとの事。手術をすれば容易に痛みも取れて楽になるとの説明を受けた、でもメスは嫌だ・・・点滴や湿布薬を処方して貰って手術から逃げ回る。その間何とか自然治癒を願って気功術、カプセル型の温熱療法、岩盤浴、鍼、温泉浴(自宅で毎日)など色々試すが一向に治まらず、次第に継続的な痛さに変る

教育 入院するには期間中の仕事を家内に任せなければならない。家内はパソコンに触った事がない、PCずぶ素人・・・エクセル・アクセス・ヤマト宅急便の専用サイト、ウエブからのオンラインショップの受付にはメールの操作が必要だ、PCなど触った事もない家内にゼロから教えることは至難の事。カーソルのクリック・ダブルクリック、右クリックなど初めての彼女にはチンプンカンプンの事。入院する事を想定して少しずつ教え始めた。

筋力の低下に気が付 2009年の年末頃 椎茸を採りに自宅裏の傾斜地に入った、右足を谷側にして歩くと転げ落ちそうになり歩行困難、セカンドオピニオンと考えている鍼灸師からMRIの精密検査を受けてみる様に勧められる 新年早々Mochida先生に相談し、再度MRI検査をTsuchiya先生にして戴く、脊椎間狭窄が原因で神経を圧迫し右足筋力の低下を招いているとの診断を受けた、ヤバイと思いながらも「メスは嫌だ」の気持ちは変らず 低下した部分の筋力ストレッチをすぐに強化したが、5ヶ月経っても一向に改善されなく腰痛も消えず不安が出できた・・・

病は気から 毎日々々腰が痛い・・・本業の仕事に混ぜ合わせて週2回のボウリング、1回の水泳、毎週末のヨット、合間々々の畑仕事と動き回るが常時腰痛に悩ませられる、但しボウリングでストライクやスペアーが取れた時、ヨットで若いクルー・ゲストとお喋りをしている時は痛みを忘れる、「病は気から」マッタクその通りだ・・・でも決断の時がきた

決断 5月17日予約してあった診察日 Tsuchiya医師に手術をお願いする、その場で日程を6月7日から2週間入院と決定する。

準備その1 仕事 第1にPCの操作を家内に教えねばならない、最大の難関だ、5月の連休後から再教育開始、以前の事は記憶になくゼロ出発だ PCの立上、アプリケーション・ファイルの開き方、ポインターの置き所、クリックの仕方、お互いに血圧が上る。Ddayに向って二人とも必死だ・・・

準備その2 準備事項は仕事・ヨット・ボウリング・畑と大きく分けて4つある、ヨットは入院前日6/6が最終、7/4を再開と決めクルーに通知してあるからOK、手術後2-3ヶ月はボウリングは絶対駄目と家内から念を押されてる。7/15が今のリーグの最終戦、入院前2週間で8回(3gameX8=24game)投げれば先投げルールでOK 取り合えずパートナーには迷惑を掛けない、畑の管理は前日までに少しずつ済ませる事とした。病人とはとても思えない超過密スケジュールをこなして6/7を迎える段取りだ。

収監第1日目
(2010.06.07)
午前10時看護士に付き添われて病室に案内された、担当はMorishimaさんと云う可愛いナースさんで、入院中の案内事項や看護の為の個人情報を聴取された、間違い防止のために退院まで外す事が出来ないワッパをはめられこれで収監作業が終わった。
収監室はベッド、応接セット、冷蔵庫、洗面所、トイレ、テレビが備え付けられた個室だ、窓が大きく東側が開いているので箱根連山の眺望が良い。入院の経験は19か20歳の頃盲腸での入院以来なので半世紀振り、しかも2週間の予定は初体験で外来受付でと収監室でナースさんが計測した血圧は異常に高い、落ち着いているようだが結構興奮しているのが数値に表れている、
ダイエット食 初めてのお昼が配膳されてきた、玄米ご飯とおひたし、サトイモの煮っ転がしとアスパラの鶏肉巻きだけ、昨日のお昼とは雲泥のカロリー差、これを2週間続ければ2,3kg痩せる事間違いなしだ。

収監第1日目
その2
PCトラブル

家内には標準的な仕事しか教えられなかった。初日から難しい問題にぶつかって1時間半も病室と自宅間の電話だ、まず病院に向おうと車に乗込んだ自宅駐車場で転送電話で通販の個人注文が入ったしかも予想外商品だ、これは何とかクリアー、夕方3日前に納品したので3.4ヶ月はOKと思われた所から特殊商品の追加受注・・・製造委託先の責任者に携帯から連絡を入れ事前了解を取ってから社内事務を開始・・・製造依頼書⇒出荷依頼書⇒送り状までは順調に進んだ、ラストの納品書の発行で全く予期しないエクセルのシステム上の問題が発生した、システム問題なので家内と病室とで携帯で少しずつやり取りをしなが1時間半、病院の夕食が出されたけど手がつけられない、食器の回収をしばらく待ってもらってのやり取りでやっと解決。病人より家内の方が精神的にダメージを受けている、でも何とか回復したので良かった。業務関連データーを全部入れたノートPCを病室に持ち込んでた、このPCとのやり取りで問題点が早期に発見できたので解決できたが持込みしなかったら初日から外出許可を貰わねばならなかった。想定外の事で振り回された、前途多難・・・

収監第2日目
(2010.06.08)
昨夜は9時消灯、でも枕もとの明かりでしばらく読書してたが10時前には眠りに落ちたと思われる。充分寝たつもりで目覚めたらまだ11時台、白々明けて来る4時までの時間が長い・・・いつもより早い4時15分頃からもぞもぞ動き出した、布団の上と違ってベットの上はストレッチが遣り難い、何とか普段通り身体を動かしてるが物足りない。乗ってきた家内の車が4Fの病室から見下ろせる、2フロアーの駐車場なので屋根のある1Fまで車を移動させるべく歩いて出掛けた、1日振りの外の空気が美味しい。7時前ナースが昨日大小の回数を聞きにきた。ノーチェックだったので適当な回数を答えたが今日からトイレにメモ用紙を張って正の字を書かねばならない。

収監第3日目
(2010.06.09)






初めての車椅子
昨夜は良く眠れた、10時前に眠りに落ち一度目が覚めたが2時頃までぐっすり、また一寝入りして5時少し前に起床、いつも通りのストレッチを開始する、足腰が弱い・・・2日間も動き回っていないので退化?筋力がなまっている。食事は相変わらず質素でダイエット向き、主治医のTsuchiya先生が9時頃顔を見せ午後から精密検査だよと確認にきた、午前中は暇々暇・・・・

午後3時10分背中に造影剤を打ちレントゲン検査を開始した、痛い・・・レントゲン台の上で色々な体形をするがとっても痛い、やっと終わり、今度は生まれて初めて車椅子に乗せられCT室へ移動、撮影中に痛みが引いたがそのまま4Fの病室まで乗せられてきた、約40分の検査だった。
午後4時から主治医から、レントゲン写真を見ながら病状と手術方法、術中、術後、や合併症などの説明を家内と一緒に受け、3と4、4と5の脊柱管2ヶ所を手術して貰うお願いをして同意書を提出した、これでいよいよ11日にオペ実行になる。
主治医の説明を受けている時、Mochida先生が顔を見せてくれた、奥さんとTsubasaくんも一緒に・・・Mochidaさん元気そうだけど大分やせてしまっている。僕の事より先生の方が心配・・・

収監第4日目
(2010.06.10)
檻の中の生活も大分慣れた、今朝はパジャマのパンツにTシャツ姿の患者スタイルで病人モードに変わちゃった、初日、2日目と普段通りの外出着姿で病室で過ごし見得を張ってた、3日目から作業衣(サムエ)、午後検査を受けてからパジャマ姿と病人化してきた。夜も10時前に眠りに落ちても2-3回目が覚めるだけで明るくなるまで良く眠れてる、慣れって凄いね、ただ 毎朝床の上でやっているストレッチ、日中の運動量が少ないので身体が硬くそして筋力が落ち始めた様でいつも通り楽に出来ない、開脚前屈でおでこが床に着いていたのが今朝は全く駄目、スクワットも腰が痛い、1階の自販機までコーヒーを飲みに行ってきたが歩くと腰から下に痛みと痺れが走る、この症状は昨日一昨日も同じで運動量が少ない事が原因・・・・

お昼少し前 横浜から娘のKeikoが見舞いに来てくれた、孫娘達から「おじいちゃんはやくこしがなおってね」「おじいちんがんばれ」のメッセージも一緒に、嬉しいね・・・SINA COVAのTシャツ2枚昨日届いた娘婿さんからの父の日プレゼントだって・・・凄く欲しかったTシャツだ今日は早速着てみた。

初めて6階の風呂に入った、田方・三島・沼津方面・富士山の眺望が素晴らしい、こじんまりした風呂で時間が早かったのでキレイ

元気塾のOgawaさん・Toshiko.Yさんが見舞いに・・・彼女は先日までこの病院のこのフロアーで働いていたとの事、看護士達もびっくりしていた。

いよいよ手術が近づいた、今夜から飲食が禁止、ナースのチェックリストが置かれ注意事項が守られているかチェックがされる。

収監第5日目
(2010.06.11
金曜日)







遡上の鯉
いよいよ手術の日、昨夜の21時以降は飲食禁止令が出ているので口ゆすぎしかしていない。特に身体は異常がない、が朝のストレッチや昼間ベットの上で寝返りを打つとき今まで感じなかった背中(腰の後ろ)に痛みがはしる、運動不足なのかよく解らないが先日の検査で造影剤を打った以降の様な気がする。一応 今朝もいつも通りのストレッチは行ったが、身体が重い、収檻されたこの4日間運動は全くしてないので身体から水分が抜けない・・・・

10時50分 ベットに乗せられ地下室の手術室に向かう、テレビでよく見るオペ室の大きな照明が頭の上にある、男の看護士二人が足を固定します、手を固定しま〜す、と声を掛けてきた。「麻酔担当の**です」と挨拶があり少し眠くなりますからと云われたのが多分11時丁度頃 「落合さ〜ん判りますか?」と声がして目覚めたら手術はもう終わってた午後2時少し過ぎ。頭はすっきりしていたので言われた事、周りの顔はすぐ判った、もう個室に到着していた。背中の切開した痕の痛み?がボヮっとしている。そのままの仰向けの姿勢でしばらく・・・普通の体格のナースさんが2人掛かりで75kgの身体の姿勢を1-2時間毎に変えてくれる、腰の下に引いたタオルをエィヤァっと持ち上げ向きを変えてくれる、一晩に何回も変えてくれたがよく眠られぬまま朝を迎えた。

手術直後に施された我が身体への重装備 酸素吸入マスク・背中から出血のドレーンパイプ・排尿ドレーンパイプ・両足へ血栓防止用の自動加減圧ポンプ・心電計、呼吸数、心拍数用のパットとコード・自動血圧測定器・点滴などがぶら下がり身動きが出来ない、ゆっくりした呼吸のため頻繁に呼吸停止のアラームが鳴っている、本人は何ともないのに・・・

収監第6日目
(2010.06.12
土曜日)




















長い夜
困った。毎朝5時には大がもよおす、1〜2時間置きに寝返りを手伝ってくれるナースさん一晩中たいへんな仕事だ、大が心配だと話すと、「オムツをしてるから大丈夫ヤリナサイ、浣腸も出来るよ」だって・・・とんでもない麻酔で意識不明ならともかく、覚醒している時にやれる訳無い、幸い昨日は食事をしてないので我慢する事に決め込む、おしっこは粗朕の先端に管を通してあるようでバッグに垂れ流し。

午前中アシスト主治医のSasaki先生が来室、コルセットをして立ち上がり、足の力を確認して室内のトイレなら歩行を許可していった。早速トイレに行って大を試みた、でもちぐはぐ・・・座ってても小はパイプで外のバックに垂れ流しだ、バランスが悪くてイキム事も出来ない、ガス抜きだけして、立ち上がり粗朕を覗いたらストローみたいなのが先端についている、初めて見た、ぃ嫌だ!!!

垂れ流しの「おしっこ」は何時までって聞いたら月曜日に泌尿器の先生に見て貰ってから・・・今日はまだ土曜日の午前中だ、とても我慢が出来なく外して・・・って頼んだ。
じぁぁと云う事でパンツを下げいきなり引き抜いてくれた、失神しそうに痛かった。今度はフリー・・・・でも放水の度にノズルの先端が傷むが日柄物とあきらめる。

土曜日の夜を迎えた。まだ手術跡の痛みが強く、ベットで起き上がるのも立ち上がるのもツライ、夜間は尿瓶を使えば・・と云う事で用意して貰ったが使った事がなく解らない。仕方なくベット横に座りパンツを下げファーストオプション、寝ながら出来ると聞いたので、横になって必死に腰を上げパンツ下げて2回、パンツ下げしなくても出来ると教わり、超短縮された物を引っ張り出しやっと何んとか・・・・でも使用後に毎回ナースコールをして後始末を依頼する、これでは夜勤ナースはたいへんだ・・・・・後で後始末を依頼しなくても寝ている間に処理してくれると解り「よかった・・・・・」知らないって恐ろしいね、平気で迷惑を掛けてる。夜が長い・・・やっと明るくなって日曜日の朝だ・・・・・


収監第7日目
(2010.06.13
日曜日)
日勤ナースの最初の仕事は患者の身体拭きから始まるみたい、全身を拭いてくれる下半身もだ、ぃ嫌だね・・・・・恥ずかしくで縮みあがってる。でも自分で腰を上げて下着を交換できない、やむ得ない。
午前中にSasaki先生が回診、足の筋力、しびれ等のテストや問診をした、問題なし。手術前は腰から下に痺れや痛みが走りに4階の廊下を1周するのも嫌だった。まだ廊下には出ないが病室では歩いて何ら痛み・痺れを感じない、病原元を切除した効果は確実に現れている。嬉しいね・・・夕方主治医のTsuchiya先生が顔を見に来た、日曜日なのに・・・って聞いたら今から当直との事、医者もナースもたいへんだね。
主治医の指示で痛み止め薬が夕食から支給された、効果はすぐ現れ腰を動かしても痛みが少ない・・・・夜間の寝返り、排尿がとっても楽だ、金土と2日間の睡眠不足を解消すた程ぐっすり良く寝られ月曜日の朝を迎えた。

収監第8日目
(2010.06.14
月曜日)
清々しい朝、熟睡そして痛みも殆ど無く快調そのもの、今日午後は術後のレントゲンとCTの検査があるからと連絡がある、リハビリのIshii先生が検査終了後迎えに来て2階のリハビリ室で退化した右足の復活訓練を開始した。厚いウレタンマットの上で片足立ちや いぼいぼが付いた円盤状のボール?の上でバランスを取ったりカカト立ちで歩いたり約40分で汗びっしょり、歩行補助器を持参したが全く不要で足に充実感が宿る。2Fへの往復歩行では術前に激しく腰まわり痛んだのが全く感じられなく、もう完治した感じだ。

収監第8日目
(2010.06.15
火曜日)




















リハビリ開始
サッカーのWorldCupは日本の緒戦相手カメルーンに1-0で勝ったとテレビでは大騒ぎを放映している。昨日から痛み止めの飲み薬を飲んでるので、すこぶる快調、トイレは全く問題なく済ませられる一昨夜に続きナースコールなしで朝を迎えた。
6時前に手が届く下半身やお腹周りや肩を濡れタオルで拭き着替えを済ませる。身体拭きと着替えの援助にナースが来てくれたが背中と膝下を拭いて貰って完了・・・一応自立が出来る様になった。 10時半頃、Tsuchiya主治医がアシスト医師2名ナース3-4人連れて回診。筋力チェックや執刀後のチェックをして、シャワーやその他の許可事項を指示してくれる、「こんなに調子が良いです」とコルセットをしないで起き上がったらイエローカードを貰っちゃった。
Tsuchiya主治医は外科部長さんだ!多勢の若い医師や看護士を連れての主治医回診、普段は1人で動いてるので判らなかったが偉いんだね・・・以前 大阪医大付属病院に見舞いに行った際 教授の回診に20人位の医師やナースが団体で付いて回っていた事を思い出した(広い廊下一杯で通り抜けなかった)。
主治医からシャワーOKの許可が出ているので、ナースセンターに使いたい旨連絡する、姿勢 特に下半身以下の洗いには介助するからと云われたが、恥しいから嫌だって断り、注意事項を守ると約束して3日ぶりにシャワーを使う、痒い頭がスッキリした。

回診の後 リハビリ室へ・・・筋力低下している右足を中心に何種類かのメニューでトレーニングを開始する、約45分で汗びっしょりだ・・・もうこんな事も大丈夫?って事もやらされる。午後から 普段の筋トレと新規を含めてメニュー作りにトレーニングセンターの部長と相談する。その前に午前と同じ様なメニューで筋トレを約40分やっぱり汗びっしょり・・・・こんなハードでも大丈夫か心配になる・・・夜右足がオーバーロードでピクピク痙攣を起こしてる。禁止事項は腹筋・背筋・脊椎のひねり・前屈後転・開脚前屈などしばらくの間ストップ、新規取入は主に2っありバランスボールかシートを購入してからと、道具の準備が必要だ、退院後毎朝のストレッチが更にアップする。

収監第9日目
(2010.06.16
水曜日)
早朝は梅雨の大雨 8時頃から回復 雲が厚い


















網戸越しのおしゃべり



体調が元に戻って来たので起床も入院前とあまり変わらない、午前4時台だ、昨日リハビリのIshii先生と打合せしたストレッチを今朝から開始した、身体が温まり(暑い)濡れタオルで身体を拭いた、外気を入れながら裸でいるのがとても気持ちが良い、午前6時外は土砂降りの雨が降っているいよいよ本格的な入梅となったようだ。
8時30分 Tsuchiya主治医が立ち寄ってくれた。退院後の 初診察は6/30にMRIとレントゲンを撮ってから診察を予定しているとの事。
午前10時半頃、床のワックス掛けをするから1時間ほど外にと云われホールに・・・・まだ主治医の回診が終わってないのでストレッチにも行けない。
1時間後ピッカピカの床になり素晴らしくキレイになった、作業員に頻度を聞いたら半年に一度との事、今日から正味3日はキレイだが、前半は一番汚れてた???主治医の回診は本日はなし、リハビリ室へのタイミングも失い午前中はなにも無しだ・・・
午後Tsuchiya主治医が訪れ、いろいろとおしゃべり。コルセットの解除時期や現在禁止されている筋トレの開始方法について伺う、若い医師や多勢のナースを引連れての主治医回診はなかったけど早朝と午後にわざわざ看に来てくれた、有難い・・・
前の外科部長Mochida先生来訪 今回手術の御礼を申し上げながら経過報告をする、先生のお子様のアトピーについて「自然生活ドクターの僕」から食生活改善について提案書を用意してあったので。ご持参戴いたフラッシュメモリーにコピーして奥様宛に託した。



夕方の天気が素晴らしいので窓際から外を覗いていた、1m先のベランダに一羽のツバメが止まって、僕の方を向き大声でしゃべり始めた、オーオーお前は可愛いな・・・子供は何羽だ!なんて聞いてみた。男と女の二羽だよ・・・って、それより叔父さん元気になって良かったね・・・・・と声を掛けてくれて飛び去った。ホンノ20秒位だったけどの楽しい会話が出来た。この写真は隣部屋の所に止まったツバメ

収監第10日目
(2010.06.17
木曜日)
06:15 箱根連山に掛かる雲を通して夏の太陽が力強い陽光を射し込んでくる、暑い! 朝のストレッチを終え濡れタオルで身体を拭いて着替えを済ませた所にナースが採血と便回数を調べに来た。サンライズとともに気温もぐんぐん上昇 窓を全開してエアコンを止めてあったが暑くてエアコン再起動。昨夜は家内からの電話無し、仕事がスムースに行ったか注文がなかったのか、多分後者と思うが「便りがないのはよい便り」と思ってる所に・・・電話が入る 
家庭菜園にゴミ袋が数個投げ込まれカラスが食い荒らして飛散、ひどい状況の様子。函南の交番に被害の連絡をした、9時頃調べにくるとの事。となりの菜園にも大量に廃棄されており警察がゴミの中身調査をして犯人を確定したとの連絡があった、函南町の住人が引越に際して出たゴミを捨てた模様、ヒドイね・・・
Tsuchiya主治医・Sasaki医師が相次いで「どうですか」と覗いて行ってくれた。
午後にもTsuchiya主治医 容態確認に来室、Mochida元外科部長の奥さんに高濃度ミネラル原液の作り方、利用方法についてレクチュアー
リハビリルームにてバランスボードに乗って右足訓練 1.5kgのウェイトで足首強化の筋トレ 何でもやって貰えるこの生活は全くストレスが無い、普段 気楽にこんな生活が出来るといいね・・・・後2泊で退院、間近に迫ってみると複雑な気持ち。

収監第11日目
(2010.06.18
金曜日)
お蔭様で日毎に快調になっている、昨夜もいつも通りぐっすり眠れて5時前には起床し、ストレッチを開始した。毎日 昼夜をたがわず氷枕の氷をナースさんが供給してくれるので頭部はいつもひんやりして気持ちがよい。でも昨夜12時頃は首筋にびっしょり汗をかいて目が覚めた、パジャマの襟元がグッシャリ濡れていた、氷が無かったらそのまま眠られぬ一夜かも・・・・便通も平常時と同じ5時頃には自然に呼んでくれる、実質今日一日が入院生活の最後だ。過ぎ去ってみると実に早い・・・・
勝負
主治医からもしかしたら改善されるかも知れないと云われていた「おしっこ」の出方が良くなった、今までチンタラおしっこで公衆トイレでの用足しはとても嫌だった。ヨーイドンで隣の人と競争すると3人目位でやっと一緒になる、混合ってる時、後に着かれた時はビビルって尚更遅くなる、今度は中年のおっちゃん位なら対等勝負が出来そうな気がする。腰痛解消と同じ位有難い(^o^)/

収監第12日目
(2010.06.19
土曜日)
釈放の日 19日と云う日は収監前あるいは収監中も随分先の話だって感じてたけどとうとうその日がやってきた。GodHandのTsuchiya主治医のお陰で腰から下の痛みや痺れは今日現在全く感じない、一週間前は痛くて々々歩くのも嫌だったのが嘘の様だ。定期的な回診以外に毎日1-2回様子を見に来室して頂きホント感謝している。釈放が嬉しいのか昨夜は殆ど眠られず1時間に1度は目覚めてしまった。釈放金額は37万円弱と凄く安く2週間も独房を占拠し朝昼晩の上げ膳下げ膳、ボタンを押せばどうしましたって美しいナースさんがすぐに顔をだしこちらの要望を満たしてくれる。たいへん有難くお世話になりました。アシストのSasaki先生にもたいへんお世話になりました。リハビリ室のIshii先生とは収監中、釈放後のストレッチメニューの追加を指示して頂き早期に退化した筋力の復活を目指す。

便利な道具 手術後まだ身体が思う様に動かせない時 「孫の手」はとっても便利でした、近くに誰もいない、チョットティッシュを、タオルを布団をと云う時に、痒い所に手が届くはホントだね・・・「しゃべる時計」 夜も昼もよく眠る、でも反対によく目覚める・・・いま何時!暗くて見えなくても目をつぶったままでも、「何時何分です」とアナウンスしてくれる優れ者の時計、まくらの真上に置いておけばどんな姿勢でも手が届いた。 孫の手も団扇も紐を付けベットに「巻き結び」はいつものやり方だ。


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